[8]


「つまり島、っていうかお前が白旗を揚げるっていう事になるのか?」
 ここで意地をはっても仕方がないということは嫌ってほどわかっているつもりだった。だけど高道の話を聞かなければ、サナエが病気でなければこの挑戦は続けられたのに。一人でここまで頑張ってきて…。しかしこの意思確認は高道を縛るものにしかならないのだろう。奴の答えはわかっていた。
「そういうこと。ここまで頑張っといて癪だけど。オレはここは負けるが価値だと考えているんだ」
「勝ち、だろ?」
相変わらずの冗談めいた発言に、礼も言わず普通に言葉を返す。
「価値でいいんだよ。土地を区切って太陽を隔離して、そんなことしたら人間は生活できない。十分証明になっただろ。価値価値。それに……」
高道は一呼吸置いて、鼻で笑った。
「負けは負けだろ」
口調の割に厳しい言葉がまた返ってくる。表情には寂しさが見えた。なにかその顔に違和感を憶えた。それが何なのかは自分の気持ちと比較すればすぐにわかった。高道は悔しくないのだろうか。しかしそれを聞くのは躊躇われた。恐らく心中では当然悔しくて、しかもそれをサナエの兄である俺が言わすのも言わせないのも酷い仕打ちだろう。
「なんで俺たちを助けてくれるんだ?」
これは恐らく愚問だった。自分の挑戦より人命を重んじる人間だからだろう。ところが高道のは予想外の返答だった。
「うーん、色々あるけど。いやあ、やっぱ1番は惚れた弱みかなー」
「あーそうかい」
「そっ。おにーさんと呼ばせてください」
「あーそー、お兄様なら考えてもよかったのにな」
「お兄様っ!」
あんまり大真面目な高道にぷっと吹き出してしまい、それから話を元に戻した。
「で、実際にはサナエをどうする気なんだ」
「うちの車で送るよ。それであのバカ高い交通料金を払ってトンネルを抜ける」
それで終わり。俺は酸素が薄くなるという大天災のあっけない最後に切なくなった。そしてこの空気屋を出た。

「それまでに酸素が足りなくなるようなら言って」
高道は売り物の中で一番大きい酸素びんを俺に渡して、さらに言った。そんなことはないと俺が首を振ったら、また性懲りもなくお兄様エンリョなさらずに、などと言ってきた。俺は笑った。車で送ろうかとも言ってきたが俺は断った。その後、バカと言ってやった。高道が回復の見込みはないと言い切ったのが、まだ悔しくて俺はまた口数が少なくなっていた。呼吸も少なくなっていた。

 そして家に帰る途中、車できた道を何倍も時間をかけて歩いた。車で帰すつもりだったからこんなに大きな酸素びんを持たせたのだろう。歩くには大きくて邪魔だ。
 俺は歩きながら、何も考えないように何も考えないようにと念じるように歩いていた。階段を上り下りしたり、買い物に歩くだけでも不精していたことを思い出して苦笑した。そしてその頭の中を打ち消すようにしてまた歩みを進めた。何度も頭をちらついたが高道社長のことだけは考え込むことはなかった。少ない力でまた生きる。食をさぼってすっかり衰えた筋肉でも一歩ずつ歩いていこう。
「あっ…」
ショックを模したようにガーンと酸素びんが倒れる。
 俺はどうやら注意力が散漫になっていたみたいだ。高音を立てて倒れたびんのふたは回す形式でなくプッシュ形式で勝手に開いてしまった。その瞬間に容器の中で例の爆発がした。びんの中から高濃度の気体が流れ出てくる。そのとき俺は拡散という言葉を知っていた。思い出したというより知っているというのが適当な表現で、身体も勝手に動いていた。咄嗟にびんを立て、限りある天に向けて酸素を撒き散らしていた。酸素は空気より比重が重いことを忘れていた俺は、大びんに寄りかかって迫りくる酸素を必死によけていた。そして息を止めた。
(来るな、来るな)
 それでもまだ吸ってしまいそうで地面に伏した。コンクリートに顔を近づけ目を閉じて首をしめた。
(この酸素はサナエや島のみんなの酸素なんだ!)


<< back                                NEXT >>




 


HOME 麗文秘話へ 戴き物、或いは借り物へ戻る





inserted by FC2 system