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 開かれた視界には、まず天井の部屋の隅が見えた。サナエは病室で目が覚めた。呼吸器がとりつけられていて、酸素が勝手に体内に流れ込んでくる。サナエは喋ろうとしたがそのマスクに阻まれて何も言えなかった。その目の前にいる医者でないその人に、聞きたいことがあったのだが。
「回復に向かってるからもう大丈夫よ」
看護婦が言った。その後ろにいる男もそれを聞くと安心して、背広の胸ポケットから携帯電話を取り出しどこかに掛けようとした。それを看護婦が止める。
「あー、ダメですよ。院内は携帯電話の使用禁止」
「あ、すみません」
その様子をみてサナエは笑った。彼も電源を切ったあとに苦笑した。
「気をつけてくださいね。お父さん」
医師と看護婦は診察を終えて、別の病室に移っていった。父と間違えられた彼は、何も言わずに礼をした。
「僕がサナエちゃんのお父さんだってさ」
サナエは叔父に向かって笑った。退院したらこの家に世話になるよう高道が手配した。それならもうお父さんと呼んでもいいかもしれない。彼女らの母の葬儀もこちらで行った。サナエはやっと本当に哀しむことができた。そしてさよならすることも。ただし一つだけ、サナエは気になっていた。
「お兄ちゃんは?」
「さあ…」
 サナエはここが島の外であることも、今までが島の中での生活だったことも知らない。そして知らないまま。入院中に彼女の兄はどこか別のところへ行ってしまい、保護者がいないと色々大変だから頼むという内容の電話がきたのだと叔父は教えてくれた。
「そういえば連絡先も言わなかったな、あいつ。ふん、また掛けてきた時に聞けばいいか」

 それ以降、彼がサナエに電話をする機会はなかった。便りがないのは良い便りと言おうか。彼は未だ島の中で暮らしている。大きな秘密と人工太陽を抱えた島で苗木を植えながら生きている。
「酸素の中で息を止めるなんてどうかしているなあ、君は」
大脳の意識が飛んだおかげで脳幹の抑えられていた呼吸機能が動き出し、奇跡的に命を救ったのだそうだ。そこに大量の酸素がなかったら大脳に障害の一つや二つもあったかもしれないと聞くと本当に大事だったのだろうと思う。
「まーいいか」
「まーいいや。結果オーライだし」
 俺は高道と学校へ行く。週一で教育機関が動き出した。それというのも資源がなくなる前に空気屋が作り出した太陽からソーラーエネルギーが確保できたためなのだ。もちろんそれはエネルギー保存の法則により有限であることはわかっていたのだが。それでも残りカスを食いつぶしながら島の生活は動き出していた。学校の片手間に高道は改良した酸素びんを売り、俺は植物を育てる。
 そんな生活の中、少しの余裕ができた俺は一つだけ気になっていたことを口に出した。
「サナエはどうしているんだ?」
「さあね。オレが知りたいわ」
「電話とかって、ほら、あのアレでしか掛けられないわけ?」
「そうなんだろ。オレに聞かないでや」
「そうなんだ」
「そう。損なんだ」
「何が?」
「オレさあ、サナエちゃんを助けたのにその代償で会えないわけよ。しかもあっちで彼氏とかできてもさあ、何もできないし……損じゃない?」
「そーだな」
「いやー、オレってば人魚姫? 誤解されたまま泡となる運め…」
「言ってろ」
「ちぇー、冷たいの。オレも肺疾患とか見つからないかなあ」
「無理だな」
「そーかなあ。はははっ」
「無理無理。あははっ」
「はははっ」
「あははは…」
 ………………


Kirin , H




 



 幻想夜話2周年の記念に麒麟さんが『呼吸』というお題で作品を書いてくれました。
 今考えるとお題をそれと決めた理由がわからないのですが、尋ねられた時さらっと出てきたのです。そして、頼んで正解だったと思えるような作品をいただけました。しかも量が(笑)帰省中だというのに締め切り有りでのこの大作……にも関らず、テスト期間中につき、レイアウトに時間をかけられず申し訳ありませんっっ、この恩はどこかで……返せるといいなあ(何故に弱気)感謝しております。

 独特の世界を構成する発想、強かでそれ故のリアルをもつキャラクター……麒麟さんの作品には、拝見する度にいつもへこまされ……もとい(苦笑)感心させられるのですが。今回も例に漏れず、素晴らしい作品をありがとうございました。

2001.9.9 雪篠


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