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「ところで…高道あつしくんだっけ。あんたは本当に社長なの?」
 思考というものは如何なるときもくだらなく働くもので、話題を逸らそうと狙った脳裏に浮かんだのは先程の言葉のちょっとした表現だった。つまり、うちの商品というやつだ。社長の言葉でもそれらしいが、社員のと考えてもこれまたそれらしい。
「そだよ。このオレが社長で、酸素を売るって考えたのもオレ。ここ取り仕切ってんのもオレ」
「はあ…」
それから奴はいーかげん信じてよ、と続けた。俺はあとでダマサレタと思わない程度に奴を信じてみることにした。
「それはご大層なことだな」
「あー、まだ信じてないでしょ。でもまーいいか。話を戻すよ」
俺はギクッとした。せっかく話題を軌道から反らしても、こんなに冷静に戻されたら切り返すこともできない。そして高道はこの程度の小細工には引っかからないのだということもわかった。
「あーわかった。俺は確かに盗んだ。だけどなあ…」
と言ったところで、俺の口の前を高道の左手が威圧的に立ちふさぐ。その指の隙間から見える奴の口はへのへのもへじの「へ」の口だ。
「あーそれもあったね。まーいいや、それはアトでいい」
高道は箱をどける仕種で話をどこかへやってしまった。疑問が残る。じゃあ何が話したいんだろう。とりあえず俺にとって重大な話がどうでもいいことになって安心する。だけど後で蒸し返されることを予想して大人しくしているのが得策だ。それより何が話したいのか、どこへ話を戻すのか。
「てなわけで、妹さんは何ていう病気?」
そこまで戻すのか。
「先天性換気障害」
「それ、病名じゃなくない?」
「ごめん。それしか知らない」
そういえば、それしか知らない。結核とかガンとかでないってことは知っているけど、詳しく言ってもわからないからと言って母ちゃんは教えてくれなかった。ただ生まれつき肺が悪いって。
「って、なんでお前に教えなくちゃいけないんだよ」
「あー、本当なんだ。スナオすぎるから一瞬ウソかと思った」
そして高道はそうかそうかと頷いた。俺は嘘を言っておけばよかったのかと一瞬後悔した。しかし、そのすぐあとに間違っていないと持ち直した。そういえば家にサナエを一人で置いてきたんだった。酸素に満たされた空間でも大事なことは取り出しにくい。いつもくだらないことばかり。俺はその無駄な思考をたくさんの二酸化炭素とともに吐き出した。
「まーいいや。とにかくこの状況では苦しいんだろうな。いやあ息もだけど、状況もね」
「そうだよ。でも、だから何? 妹のことで盗難を見逃してくれるのか?」
大事なことに気づいてしまった俺は心に余裕がなくなっていた。心配タイマーがピリピリと急かしている。アラームが鳴り続けていても時間は勝手に進んで、指定していた時間を通り越しても鳴り続けて、結局何時かもわからずただ焦り続けて。集中できない。
「それもいいねえ」
だからその口癖らしき言葉もするりと聞き逃してしまった。
「何がいいんだ。妹が心配なんだよ」
「見逃してあげてもいいって言ってるのに…」
そこでやっとアラームが止み、冷静が流れ込んできた。ついでに心臓が冷えた。出てくる言葉もそりゃ凍りつくだろう。
「マジ?」
「疑うなら、君を訴えてもいいけど?」
空気屋社長は人差し指を立ててニヤリと笑う。
「いや、それは酸素の無駄でしょう。無駄無駄。つーか、すんません。俺が悪いのに」
俺は頭を下げて謝った。逆ギレした挙句に商品を盗んだ奴を、まさかこんなに寛容に扱ってくれるとは思わなかった。なんとなく、この高道という奴が好きになった。
「いいねえ。じゃあこの話は置いといて。それより妹さんの話なんだけど…」
高道の目が今までになく真剣になったので、俺は息を呑んで次の言葉を待った。すると高道は俺が過呼吸で倒れたときに寝ていたソファーに座るよう促してきた。俺はそれに倣った。
「そんな危険な状態なら外に出すべきだと思うんだよね」
そう言いながら高道も手近な椅子に座った。サナエが家に一人だということを頭に過ぎらせて、高道の方を向いた。俺の理解レベルから言って、この話は長くなりそうだ。
「外って?」
「島外」
聞いて、俺は頷いた。
「うーん、ああ、なんか知っているような…。知らないような、知らないな」
言った後、俺はうな垂れた。


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