[5]


 空気屋本社ビル。正直言ってこの状況でビルが機能できるとは思っていなかった。さすがにエレベーターとエスカレーターは止まっている。しかし遠くから電話の音はする。まだ電気がつくられていたのか。それならばもうどこかの地方では酸素が戻っているのだろうか。ニュースはおろか、情報と名のつくものには一切触れていないので何もわからない。それ以前にテレビもビデオもやっていないだろう。だから俺は発電所の最後のあがきに感嘆し、また嘆息する。
「あとどのくらいでその責任者ってやつに会えるんだ」
止まったままのエスカレーターを上りながら、俺の前を歩くナビゲーター君に聞いた。
「だから、オレが責任者ですって。空気屋社長、高道あつし17歳」
「お前のことなんて聞いてねえよ」
俺と同い年の社長なんていてたまるか。
「星座や血液型もきく? 聞いとく? あ、誕生日はダメ。結構いろんなとこで暗証番号にしてるから」
「聞いてねえよ」
「じゃ……」
「聞いてねえ」
俺は大きく首を振った。その態度を見て自称社長はまばたきをして前に向き直った。少しほっとして溜息をついた。何だろう、ダイヤの多面体がチカチカ踊っているようだ。目の前が光りに包まれていく。
「あ、そうか」
奴の手を打つ音が聞こえた。そして、それが催眠術の合図だったかのように俺はエスカレーターに伏し、それから何も覚えていないうちにどこかに寝転がされていた。

「あ、気がついた?」
「うんん…ここは…」
 俺はそこがどこだか即座にはわからなかった。肘や背中に触れる地面は柔らかい。天井が高い。箇条書きのように物事を整理して、横になったままここがどこなのかを推理した。こんなに無駄に頭を使うのも久し振りだ。俺は頭が痛くなるまで考えたが、ここがいい部屋であることしかわからなかった。頭が鈍ってきているのを感じた。すると頭の上から、正確には頭の方角から答が降ってきた。
「社長室」
つまりは、
「空気屋の」
「いいねえ、理解が早くて。ちなみに君の症状は過呼吸だってさ」
「ああ、あのビニール袋を持って自分の息を吸ったり吐いたりするやつ」
「いいねえ」
 この男…高道あつしはいいねえと言うのが口癖なのだろうか。と、またくだらないことを考えていた。そして危うく重要なことを考えるのを忘れるところだった。俺が過呼吸? 酸素はあるところにあるということか。
「にもかかわらず出し惜しみするわけだ、この会社は。俺の妹は肺を患ってるっていうのに」
俺はふっかふかのソファーから立ち上がって一気に言った。それでも肺に空気がまだ残っているのを感じた。最後のサナエのは余計だったと言った後で思ったが、発言を回収することなんてできないからと諦めた。それに高道社長…らしき男には反応があった。
「え、マジ?」
「何が」
「いや、妹さん病気なわけ?」
高道は目を点にして俺に聞いてくる。サナエは傍目に元気そうに見えるから。
「そーだよ。だから酸素を安くよこせ」
また一言多かった。どうも口を閉ざしてきた窮屈さが内から溢れ出したらしい。目の前にいる高道は妙に冷静で肩ひとつ、眉ひとつ動かさない。これには本気でマズイと思った。やがて冷静な声が返ってきた。
「馬鹿か。君は盗人だろう。うちの商品盗んでおいてよくもまあヌケヌケと…」
「あ…」
あ、じゃないと自分でも即座に思った。そういえば俺は酸素びんを5コ盗んだんでした。


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