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眠り姫

 木曜日、僕は仕事が終わると必ず駅の西口の路地裏にある喫茶店`時の綺羅`に向かう。

よっぽどの用事でもない限りこの習慣は変わる事はない。そう、この習慣はかれこれ二年近く続いている。

だから友人、仕事仲間もこの日は僕がツレないコトを知っているので誘ってもこない。

今日もその習慣に従い仕事場のあるオフィス街から二つめの駅、前時代的なさびれた商店街モールの奥にひっそりと、どこか人を寄せつけないような雰囲気のある建物の一角に隠れている茶店に向かう。

`時の綺羅`は古風な赤れんがの外壁に、これまた古風なツタをびっしりと生やしっぱなしにしていて、三つある大きな飾り付きの窓もほとんどツタで覆われ、店内も見えない。

知らない人が一人で気軽にこの店に入ろうと思う事はまずないだろう。

僕は毎週来ているのでその重い入り口の硝子戸を引くのも気にもならない。

店内は薄暗く、目が慣れるのに少し時間がかかる程。どこか古臭いジャズが流れている。カウンター席が十席、テーブル席が五席の広くもない店。マスターは初老でアゴヒゲも白い。いつもキチっとしたバーテンの身なり。

 いつもの窓際が良く見えるカウンター席に座り、キリマンジャロブレンドを注文する。数人の近所の人らしい常連客。

マスターはいつものごとく無愛想にうなずくとカウンターの側にあるサイフォンに湯を注ぎ、挽きたてのコーヒーマメを適当に放る。キリマンジャロの豊満な香りが店内に満ちてくる。

何所か遠くで猫が鳴いている。腹でも減っているのだろうか?

キリマンジャロができあがり、熱い一口を味わう。窓際の席に目をやる。彼女はそこには存在しない。かれこれもう.......半年程。

 彼女に初めて会ったのは、二年程前。僕が今の会社に勤め始めて間もない頃だった。

慣れない職種で精神的にもキツく、だいぶ滅入っていた頃。社用で出向いたお得意先のエレベーターの中。

初秋でまだ暑く、僕は慣れない出先回りでクタクタ。7Fにあるオフィスに向かう途中、彼女は2Fから乗ってきた。なんというかその身のこなし、柔らかい眼差し.......身の毛もよだつような戦慄がはしり金縛りになったようになってしまう。ゴルゴンの魔女..........?

特に好みと言うワケでもないが、彼女の雰囲気は今まで体験したコトのないような魔性じみたものがあって..................彼女は5Fで降りた。その間三分程の出会い。

エレベーターから降りる時に冷たい汗の感触が背中に伝わるのを感じた。放心状態で用事を済まして会社にどうやって帰ったかも憶えていない始末。

その後数日は仕事もロクに手に着かず、彼女のコトばかり考えていてつまらないミスばっかりしてしまい、上司からはキツくどやされた。

 ある日の木曜日、仕事は片付かなかったがいい加減残業にも辟易していたので仕事半ば放棄し定時で帰路に着く。

多少上司の顔が気にかかったが、こんな早い時間に帰れる自分をどこか新鮮に感じていた。

帰りの電車に乗り込む。前の方。例の彼女..............。僕は何かの因縁を感じずにはいられなかった。彼女は疲れているのか、座ったままうたた寝をしているようだ。

二つめの駅で彼女は慌てて起きて電車から降りる。僕は衝動を押さえられず、彼女の後を尾ける。彼女はどこか華奢な足取りで`時の綺羅`に入る。

待ち合わせかな?僕はそれ以上彼女の私事に立ち入る気がしなかったのでその日はそのまま帰った。

数日後なんとか仕事を切り上げて`時の綺羅`に向かう。

かなり遅い時間だったが営業はしているようだ。期待はしていなかっただけに彼女の姿を窓辺に認めた時は叫びそうだった。

おそるおそる入り口の重い硝子戸を引き、中に入る。近所の人らしい常連客。店内は薄暗く、どこか古臭いジャズが流れている。

窓辺のテーブル席で彼女は窓辺にもたれてうたた寝をしている。テーブルの上には飲みかけのソーダが.........一つ。一人?

彼女の人形のような寝顔は店内の雰囲気に溶け合い.....まるで装飾画を見ているようだ.................。

僕はあわててカウンター席に陣取り、メニューの中から適当に飲んだ事もないキリマンジャロブレンドを選び注文する。

マスターは無愛想にうなずきサイフォンに湯を注ぎ、挽きたてのコーヒーマメを適当に放る.........。キリマンジャロができあがり、熱い一口を味わう。悪くない。

彼女はいつまでも眠り続けた。何所か遠くで猫が鳴いている。腹でも減っているのだろうか?

マスターに小声でそれとなく彼女のコトを聞いてみる。

「いつも閉店まで窓辺の席で寝て帰るんですよ。いつも眠くて仕方がない.....そんな事を言ってましたね..............。」

僕はなんだか間がもたなくなり、三時間程してから店を出る。彼女はまだ寝ていた。

彼女は疲れているのだろうか?いろいろな事を考えて家に帰ったが、その日はあまり眠れなかった。

 その後も時々`時の綺羅`には足を運んだが、行く度に彼女は窓辺の席で寝ていた。雨の日も雪の日も台風の時でさえ。

何度か通っているうちに、彼女が窓辺で寝ている姿が愛おしく、それ以上に声をかけるスキなど彼女には微塵もなかったので僕と彼女は`時の綺羅`で時間を共有する関係以上の関係にはならずに一年半が過ぎた.............。

ある日を境に彼女は姿を見せなくなった。マスターも事情は知るハズもない。

彼女がいなくなって半年。僕はいまでもここで窓辺の席を見ている。

最近では彼女を思う事も少なくなってきた。

最近..............................マスターの白髪が増えた気がする。

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