愛されたい欲望からこの身に種を植え付けた。その植物は植えた土壌から養分をすって成長する。自分の身に植えた種からは、自分の心を吸って芽が生える。
 おんぶおばけのような形に成長するのかと思っていたが、それは一人の人間のように形作られた。自分は「大地」という名前ではないが、その根が自分の身体に張り巡らされているのだと想像すると奇妙な充実感をおぼえた。だが、空に枝を伸ばし、太陽の光を浴びんとする両腕は地を見ているわけではない。身体を支えるために大地は必要とされるがそれ以上でもそれ以下でもない。
 だが、この身はしかと繋がっていて、いつもどんなときも離れることはない。離れるときは死ぬときだとそう契約付けられている。それも深い愛情には違いなかった。小さなときには大地に求めるばかりの存在だったが、大きくなるにつれて自らの生きる目的を求めて動き、やがて大地に与える存在へと姿を変えていく。

 君が僕を必要とするたびに、僕は君に何かを吸い取られていく。それは何という具体的な名をもつものではないけれど、喪失感をおこし、何かを奪われたという気持ちにさせる。喪失感は内部の圧力を減少させ、外からの圧できゅーっと締めつけられるような収縮をおこす。やがて内部の圧が戻り、はじけるほどの広がりと充足感をもたらす。内圧が上がると、温度も上がる。
 心が、ただ、機械のように、フィジカルに動いているだけで、混乱して頭が割れそうになる。それが、切なさで愛しさで優しさで大らかさであるのか、言葉にはならない。ただ、右から左へ、AがBになる。
 混乱した頭を抱えながら、何度か叫んだ。どうして誰も愛せずに生きていけないのか。それさえできれば苦しむことなどないのに。一度愛したものを信じるも信じないもボタン一つで処理できればいいのに。そうすれば、根こそぎ心を抜かなければならないなんてことはないのに。

 その植物が、空を見ないで自分の横で肩に寄りかかって眠っているから、突然、哀しくなった。それは心満たされた哀しみだった。身体がうち震えるような喜びに似た充足、同時に逃げないように翼を蔓でぐるぐる巻きにしてしまいたい気持ち。それを翼の光が照らし、悔しさや醜さを明るみに出す。だから、哀しい。自分が狂わされていて、哀しい。だけど、狂っていたい。
 君の名前を呼びたいんだけど、教えてくれないか。
 だが、疲れている。植物は空も大地も見つめない。そしてその閉じた瞳とうなだれた顔とだらけた身体は、無防備に自分に背を預ける。預けている。それなら、それ以上のものはなるべく望まないようにする。だけれども、わがままを一つ。植物と大地は繋がっているけど、伸びていく姿を見るのも嬉しいのだけれど、だけれども。その手に似た枝を握ってしまう。僕と君は繋がっているけど、繋ぎたい。繋いだ瞬間に走り抜けた高速の雷鳴が、この哀しき狂喜と欲望を幾分かごまかしてくれると思う。

 繋がっているから、その別れなど想像できないからこそ、僕は手を伸ばす。君が届くなら引き寄せるし、届かないなら大きく腕を開いて待っている。そして、同じ空を見る。
 やがて、新しい扉が開かれる。君は太陽を見て、僕は雲を追う。同じ空を見ているから、お互いの心の動きをわかっていられる。いい太陽のときは僕が雲を諦め、珍しい雲のときは君が太陽に背を向ける。そのときの僕は自分が狂っていることを忘れていられる。君が僕の手を握り締めている。

「あの雲がほしい」
 新たに芽生えた欲望から、僕は空へ行こうと決める。どうしても君が太陽を諦めないというなら、この根をどこかに植え替えようか。
 言葉にしてしまったら、その瞬間に自分まで殺げ落ちそうな気がした。この手ばかりか、この根まで離したいなんて、自分はどこまで狂ってしまったのだろうと思う。いつからか遠のいていたフィジカルな混乱が、身体の中で相手の根までまきこんで沸き起こっている。
 自分のなかの他人、他人のなかの自分が無理矢理に混ざり合おうとして、大きなエネルギーを求めた。身体はカラカラになってそのエネルギーは爆発した。大きな記憶と塵だけ残った。頭はもう働くのをやめていた。植物の目は今まで見たこともない狂気を宿し、自分の根に手をかけた。その手に引く力がかかった。どちらも痛かった。裂けるからやめてくれと、心のなかで何度も鳴った。だけど、痛みでどちらも口を開くことはなかった。痛くて痛くて、痛いだけで真っ黒になった。
 根深く根深く浸透した僕らの繋がりは、どちらがどんなに全力で引こうとも凪ぐだけで動かなかった。

 夜だった。太陽も雲も見えない。たった一つ、月。

 意地の衝突のあとに残ったただ繋がっただけの二つの存在。お互いは別の視線で同じ空を見上げている。
 ただ、気づいてしまったんだ。はじめて、君が思ったことを知った。なんの理屈もなく、そして根拠もないのだけれど、君も僕も間違いなく痛かった。それだけは、そう理屈もなく根拠もなく、だけど真実なんだ。だから、あのエネルギーの爆発は花火だと思うことに決めた。無駄、なんて言わない。だって綺麗だった。
 それともう一つ。もしかしたら、僕も君も無意識にお互いを傷つけまいと思ったのではないか。痛かったけど、切ったり折ったり破ったりして強行的に離れようとは不思議と思わなかった。過ぎりもしなかった。君はどうなんだろう。
 君は、僕の視界にすっと入ってきて、雲のほうを目指す。それからすとんと下りてきて、こう言った。
「あの雲はどうやら安全だ」
 僕はあの雲にも狂っている。植物は雲に興味がないので、それも含めて冷静に見られる。だから先に危険がないか見てきた。わからないけど、おそらく大丈夫だろう。僕はあの雲に狂っている。
「行っておいで。掴んでから考えればいい」

 昼だった。そこには太陽も雲も広がっていた。その世界がぐちゃぐちゃになった。嵐の後のように何も見えなくなって、心で僕の栄養に巣食う君の姿だけがあった。その言葉で僕はもう一度君に狂いそうなのに、君を失うかもしれないその状況下で雲に向おうを言うのだろうか。途端に身体が縮んだ。きっと君が僕をすごくすごく必要だと思ったんだ。だから、こんなに切なくて愛しくて優しくて大らかなんだろう。君もそうだろう? だって僕は狂いそうなくらい、君を必要だと思ったよ。

 雲に向かう。君から注ぎ込まれた栄養で、僕が成長する。
 今だから君を信じられると思う。何が起こっても信じるのボタン一つで心を決める。君を根こそぎ受け止めようと思う。同時に、僕は君に狂う。だから、手を握るなんて言わないで、僕は君を抱きしめよう。



 幻想夜話開設六周年記念に、麒麟さんより戴きました。

 実はこの作品、この完成度なのに麒麟さんは驚くべき短時間で仕上げてこられてるのですよ。脱帽。
 麒麟さんの描かれる感情は鮮やかだなあと思います。繊細な感性で世界を捉えられているのだなという気がして、とても真似できないと思うのです。

 いつも素晴らしい作品を贈ってくださって、本当にありがとうございます。

2005.9.9 雪篠



HOME 麗文秘話へ 戴き物、或いは借り物へ戻る


inserted by FC2 system