遺書と秋の海 | |||
――まったくもって気分はサイアクだよ。 僕と同い年くらいの男がテトラポットの上にいる。猫っ背で頭を垂れて座っていた。僕は受験勉強の気分転換によくこの海岸に散歩に来ていたんだけど、奴は初めて見る顔だった。 そういう僕も落ち込んでんのかな、なんて考える。今回、成績が落ちた。僕はちょっとへこんだ。一時的なことだと思って親も先生も何も言わない。次は上がるって信じてる。 (いいわけがましー) ガコ…。テトラポットの上で妙な音がした。上に乗ってた奴がバランスを崩したらしい。ふっと笑う。男はきょろきょろ辺りを見回し、僕を見つけると少し気まずそうな顔をした。だが、それから奴は僕にオイと声をかけてきた。そして親指を立ててこっちに向けている。 ――まったくもって気分はサイアクだよ。 奴の招きで僕はテトラポットに登った。海面の夏の空を映したような青色とは裏腹に潮風が肌に冷たい。秋の海なんてこんなもんかと思った。そこはとても静かで広く、開放感があって、寂しい。呆然と海を見ていた僕の肩に熱をもった手のひらが当たる。奴の手だ。 ――オトウサン、オカアサン、ダカラ、ボクハ、死にます。 「まったくもって気分はサイアクだよ」 イヤホンを嵌めたまま70分間、じっとこのまま。テトラポットの上に並んで座っていた。再生音が切れてキュルルと頭まで戻ってしまった。 「セイイチ、話につきあってくれてありがとよ」 ------------ (…あれ、……) ------------ 「痛ってーなあ」 それからエイゴとは一度も会っていない。あのMDがどうなったのかも知らない。今考えてみれば、どこで拾ったのか、なんで拾ったのか、聞きたいことはいっぱいあった。だけど、聞かなくてよかったとも思っている。 それから僕は毎日、受験勉強受験勉強と追い込まれ、海に来ている時間も増えていた。――まったくもって気分はサイアクだよ。 テトラポットの上を見ても、エイゴはいない。幾重にもなったテトラポット、登ってみれば奥まで見えるのかもしれないけど……恐くて登れなかった。あの日、僕は吸い込まれるように幻をみた。だから、なんとなくなんだけど、一人で登るとあの時と同じ風景が見えそうで――いわゆる既視感ってやつだという予感がして、登るのを避けていた。 そして、今日も海が赤く染まった。 ------------ 「あーきのゆうひーにーー。よっ、と」 すすきと団子の夜。満潮になればテトラポットを追い越す勢いで波が覆いかぶさってくる。憎しみも苦しみも、血も涙も、あるいは思い出さえ流れていくのかもしれない。 ------------ あれが誰の遺書だったのか。僕はその答えを知っているような気がした。 |
幻想夜話開設三周年記念に、麒麟さんより戴きました。 祝い品らしからぬ、とのことですが(苦笑)それについては、一部私にも同じような記憶があるので問題なしでしょう。 重さから目を逸らさない、リアル。たとえば、麒麟さんの作品に対して、私が思うひとつがそれなんじゃないかなあと。惹き付けられる理由。痛いけれど、いたづらに傷つけるのではない――見据える視点が、たとえば私になくて彼女にあるもの。 ある種の非日常は、限定的には日常なのかも知れないと……数多くの悩める受験生を思いながら考えてみたり。真面目なコメントを書くと暗くなりそうなのでやめておきます(苦笑) 最後になりましたが、試験等お忙しい時期でしたのに、幻想夜話の為にお祝いの品を贈ってくださって、本当にありがとうございました。 2002.9.9 雪篠 |