私の足元を黄色が駆け抜けた。淡い黄色のワンピースが道を流れていった。花の色か、あるいはイチョウの色のそのワンピースは典型的なAラインの型だった。少女の足元で健康サンダルが鳴った。拍子木のような音だった。
少女は広々しい湾曲の道をドリップ走行で抜けていった。道の先には歪んだT字路がある。たとえばフラワーロック、老人、鳥、さてなんだろう……交差点の模様を言葉に変換しようとして、私は頭をひねった。たとえば、そう、漢字の「狩」とか「獲」とかの部首である「けもの偏」に似ている。
道の先には赤いランニングシャツに深緑色の短パンをはいた少年が、道の先を指差している。
「あっち」
黄色のつむじ風は、けもの偏の先っぽまで翔けていく。その指先まで。私はカーブの途中で駐屯して、二人が合流してオレンジになるのを見ていた。だが、その色の子供達は煙か風になったようにその場から消えてしまった。さらり、と。
またか。
いつもの「デイ・ドリーム」だ。
けもの偏の道のど真ん中で、私は立ち竦む。聞こえるのは木擦れの音ばかりだった。
ふう、と一息ついて、呼吸を整えた。お気に入りの銀色の腕時計。文字盤のバックが白くて、針と数字が銀色。硬質で冷たいボディから、カツリ足音のような妙音をはじき出す。一秒ごとに去っていくし、一秒ごとに近づいてくる。
縮図だね、と感じた。なんの縮図だろう、と思った。まあいいや。
とにかく私の呼吸は出会い別れの一秒間に合わせて、整っていく。秋の限られた白昼に、ごきげん損ねた白雲が水分バランスを崩して映しだした白中霧から覚めていく。
これから、どこへいこうか。
――あっち。
とりあえず、あっち。
けもの偏の先に向かう途中、たぬきが後ろから私を追い抜いていって、ついでに靴も踏んづけていった。私は土の残った革のローファーをしげしげと眺めた。くずれた肉付きの跡だ。あとはたぬきの体重で平行線のシワが数本入った。ちいさな抉るような傷はツメがひっかかったせいだろうか。
くそう。ツメを切ってやろうか。
すでに姿の見えないたぬきを追いかけて、道を急いだ。たぬきのツメ切りなんぞ、馬鹿馬鹿しいことを考えながら走った。栗のとげとげしい殻が、私の行く手に転がっていた。青く苦々しい色のものから、茶の熟したものまで。イガ栗は背を丸めたたぬきにも見えた。そう思うとタイミングよく栗の葉がスウィングしながら降りてきて、たぬき栗の上に覆い被さった。
切ってやろうか、そのイガを。すこし笑った。
天上はいつのまにか栗やイチョウの木々で覆われていた。けもの偏の一画目“はらい”の場所で道は途切れ、けもの道になっていた。両足を揃えて立つことも許されない道幅は、私にモデル歩きを強要する。腰をくねらせながら前を見据えて進め、私よ進め。行く手前に肥やし予備軍の落葉が降り積もっても、私はローファーで突き進む。
やがて、さきほどの風の正体を思った。黄色い少年とワンピースの少女は、イチョウと色づいた葉を思わせる。そして赤い少年はまた私に手をかざす。茎のまだ青い楓は赤い五指を風に揺らして、その先を示す。
あっち、だ。
楓の幻想的な色合いの葉が指差した方向には、白い霧が立っていた。
なんとなく霊的な手招きに誘われて、私はまっすぐ進んでいく。小さな赤い手のひらは囁きあうように風に揺れていた。あっち、あっちだ、と。白い霧はだんだん濃くなり、空と地の境界線すら見えなくなってきていた。
怖いと思った。
自分で動き出しているのに、操られているような感覚をおぼえる。その先に何があるのか、もうそんなに知りたくもないのに、私は螺子の止まらない人形の動きを続けている。
その瞬間、私は床からふわりと浮いた。地から足を踏み外したのだ。重力が凄まじい力で私を下に押し遣る。心臓だけ宙に置き去りになったみたいで、胸の上のあたりでぎゅっと締めつけられたりどくどくと脈打ったりしていた。死ぬ、と思った。かもしれない、なんて余裕はなかった。
落っこちたその先はコスモスの園だった。私の落ちた崖は高さ5メートル近く、横でそ知らぬ顔をしていた。私は生きていた。
いたるところに黄色い花粉を巻きつけ、大の字になって空を仰ぎ見た。流線型の赤い羽衣のような薄絹雲。やわらかく絶妙に紅が滲む。私はオーロラを見たことがないが、これがただ白いだけのものなのではないかと思った。
空は赤いカーテンを下ろしたのだろうと思う。帳を下ろし、他所様から奥を隠してしまったのだ。
生きていてよかった。
揺らめく絹雲に向けて私は手を伸ばした。私の指の間を秋風が通り抜け、爪を冷やしていった。風はとても冷たかった。帰ろう、と思った。夕餉はなんだろうと、腹を抱えた。
− * * * −
白い陶器の中にとろけるような乳白色、目の前に白い霧を浮かばせる熱い熱い食べ物。銀杏、栗、もみじ麩に椎茸、季節を凝縮した逸品だ。
私は蓋を開けて贅沢な秋に銀色のスプーンを差し込む。プリン状の割れ目から汁が滲んでくる、椎茸ダシのいい香りだ。私は汁ごと掬い取り、口へ、――あちっ。
もみじ麩の指す南東――あっち。――の空に、満月がすまして座していた。